2010年4月25日日曜日

優れたファストファッションのサービスとは…

土曜深夜のお笑い番組で「”ファストファッションのあるコト、ないコト”」というテーマでお笑い芸人が自分の知りうるお店情報をコメントするというものがあった。

その一つ一つの噂について、番組がメーカーに確認していくのだが、なかなか「なるほど」と思わせるファーストリティリングのサービスがあった。

それはお客様にプレッシャーを与えないために、店員はお客様に”お声をかけない”というものだ。既にご存知の方もいたかもしれないが、私は関心した。

というのも私のお気に入りのブランドでよく利用させて頂くアメリカの「Eddie Bower」というカジュアルファッションブランドの店があるのだが、とにかくそこでは客を見するとすぐに店員が駆け寄ってくる。

むろんお店によってもまた店員によっても差はあるものの、私の生活圏のターミナル駅近くにある店舗では入るなり、店員が入れ替わり立ち代わりこちらの行動を監視するかのように声をかけてくるのだ。「何かお探しですか?」、「今日は何をお探しですか?」といった具合だ。

しかし客としてはその日の都合によってゆっくり見れる時と、何か新作が入っていないかを駆け足で確認するだけのときなどもある。

しばらくは放っておいてもらってこちらの様子を見ながらさりげなく「何かお手伝いできることはありませんか」、「他にお探しのものがございませんか」などと助け舟を出してくれれるのならば有り難いのだが、往々にしてアメリカのファッションブランドのサービスは、売り子の作り笑いに、「お客様」を意識しすぎた過剰な接客態度が重なり、私などは食傷気味になってしまう。

「そうか」。
ファストリティリング柳井会長のアイディアだという過剰にお客様にプレッシャーを与えないためにユニクロでは声をかけないというのなら、これまでの店内での接客には合点がいった。

私は決してユニクロのあっさりとしたサービスが嫌いではないのだが、しかし店舗によっては、お客様に対する「無関心」とでも感じとれる顧客の方を向けていない店員の接客態度が気になることもあった。正直顧客が多すぎる?のかもしれないが。

完全にディスプレイだけに集中していたり、レジを打つことだけがミッション?の店員さんがいたりと、やはり機械的すぎる動きに違和感を覚えたこともあった。

確かに柳井さんの考えるサービスの理念は素晴らしいと思うのだが、どこまで末端の店員がそのマインドを理解しているかどうか。
勝手に自分たちの解釈で「営業の効率化」のみに利用してはいないだろうか。

昨今、業界を問わずマニュアル化されたサービスには限界を感じるものだが、サービスとはやはり対ヒトであり、あくまで一人ひとりが「考えること」なしにより良いサービスの実現はありえないことだ。

トップの考えるサービスが浸透した暁に、それが形式主義となり、「自分たちにとって都合のよい解釈になっていないか」。どの組織でもある程度の規模になったときには「なぜ、そのようなサービスを発明したのか」この原点を思い出さなくてはならないということだ。

しかし顧客の立場に立った柳井会長の視点、言葉には出せない顧客の思いを汲み取る力には脱帽する。そうでなくては年々業績を伸ばし続け、小売り製造業界世界一を目指すなどとという大きな目標を掲げることはできないのだろう。

2010年4月19日月曜日

古民家喫茶&ギャラリー

今日は、埼玉は東北線に乗って、ある媒体の取材で浦和を訪れた。

訪れたのは、浦和駅西口から徒歩で約10分、明治23年に建てられた
納屋を改装し18年前にオープンした純日本喫茶・ギャラリー「楽風」
(らふ)である。

もう少し早ければ満開の桜並木の下を通って喫茶兼ギャラリーに辿り
着けたのだけれど、それでも晴れた日に、涼やかな緑の木の下を歩く
気分は壮快だ。

店内は、木のぬくもりを活かした空間で地元の作家の陶磁や木工製品
などが並ぶ落ち着く空間だ。

10種類以上ある茶葉の中から選んだのは、「ぐり茶」と呼ばれる煎茶
で、仕上げの揉みの行程を一つ省いたお茶だ。どういう意味があって
そういう飲み方を始めたのかは知らないが、それでも初めて味わった
「ぐり茶」の味はまろやかで実に爽やかな余韻を残すお茶であった。


お菓子は、昨日までの「おぼろ月」に変わって「かのこ」のようだ。
実は、2、3日前にも一度、別件でお邪魔したのが、その時に味わった
「おぼろ月」の上品な甘さに完全にノックアウトされていた。
だが、今日のお菓子もほのかな甘さで抹茶の甘みとも高相性だ。

今日は日曜日で客足も多いため、あまりゆっくりとは出来なかった
が、平日の朝か夕方が以降狙い目だろう。近隣にお住まいの方はも
ちろん、ぜひ都内にお住まいの方にも小旅行気分で足を運んで頂き
たいお店だ。

このお店を尋ねる傍ら、周辺に散策コースか何かあるかは分からない
が、それでも頭上や足下に目をやれば、どこかしこに花が咲き、木の
温かさを感じさせるこの場所は一度は尋ねてみる価値があると思う。

近隣にもこうした店ができないかなと思いながらもこうした味わいの
ある建物を生み出すには年期と忍耐がかかることを改めて思い知らさ
れた。


今日もまた幸福なお茶を味わうひと時を与えてくれた「楽風」さんに感謝。

2010年4月12日月曜日

宇宙観を拡げる

4月11日(日)都内某所にて(宗教法人幸福の科学の宗教施設内)にて「宇宙人との対話」を目撃(拝聴)した。

実際には、『宇宙時代と仏法真理』というタイトルだった。
『宇宙時代と仏法真理』とは、どういうことなのか。幸福の科学では、大川総裁の潜在意識(悟り、霊能力)を通して「仏法真理」(「永遠の法」)と呼ばれる時空間を超えた教えている。「仏法真理」とは、あの世とこの世を貫く法則であり、宇宙にも繋がる思想である。

昨日は、幸福の科学フォロアー(信者、シンパ)を中心に(もちろん未会員、一般参加者も可)宗教施設内でその関連の教えを説かれた。テーマは、毎回変わるものの、このところ「宇宙化時代の到来」を前にさらに一歩踏み込んだ「宇宙時代の法」が説かれているのだ。

最近出版された月刊「The Liberty」5月号でも一部掲載されているが、書籍や雑誌で取材したものを後から読むのと、実際にその現場に居合わせて生々しい宇宙人との対話(総裁の潜在意識が相手の言語をトランスレーションして伝える、霊を降ろす)を目撃するのとではまったく印象や、確信が異なる。

前段には大川総裁の法話が入っていたものの、今回のトライアルに関しては「出たとこ勝負だ」と言っていただけあって、即興芝居のような印象はなく、リアルに異なる種族の宇宙人の魂が呼び寄せられ、地球人に宿りたる者の使命や、その理由を明かしていったのだ。


私自身こうした霊言に大して免疫がないわけではなかったが、次々と異なる宇宙人が呼び出され、その個性の違いを際立たせた対話には衝撃を与えられた。

確かに個性が違うのだ。人間として我々は普段、1種類もしくは、男女の2種類しかないと思い込んでいるが、それは今現在の、地球人としての生物学的な話であって、宇宙の生命、生物にまで枠を広げて考えてみれば、そこにまったく違う常識が現れるのだ。

理解できないという方には実際に残された録画でその真偽を見て頂くしか他はない。

しかし、自分自身の悟りといってもいいかもしれない、直感としてこの多様な価値観を持つ、異星人の存在は私にとっては比較的容易に信じられるレベルの話であった。

そして今日何が書きたかったか。

この地球上に起きる世界の混沌、世界争議を乗り越えていくには、この「宇宙の法」「宇宙人との対話」が広く知られなくてはならないということだ。

これによって、すべて争いの元が氷塊とはいかないかもしれないが、少なくとも相手(異なる宇宙から来た魂のルーツ)の存在を知り、自分自身の認識力が変わることで「理解」が生まれ、許せる感情が芽生えるというものだ。

すべての根本は、この数億年の地球の歴史に始まったことではない。
宇宙の成り立ちはずっとそれ以前に起きていたことで私たちにはまだ知ることを許されていない宇宙の真実が隠されているのだ。

それを謙虚に受け止め、私たちが地球人として生きていく上で、新たな視点で物事を捉える必要がある。

「地球人としての同一の価値観をどう創りあげていくか」、これがいま、宇宙から注目される星(決して国だけではない)として、地球に住まう地球人の使命であるといえるだろう。

2010年4月8日木曜日

今日の日常

今日は午後から渋谷で打ち合わせが。その後、杉並方面で夕方の5時
から打ち合わせだった。ちょうど2時から3時間のあいだ時間が出来た
ので渋谷から原宿、表参道とお天気に誘われるまま散歩を楽しんだ。

途中、明治通ぞいの宮下公園前でわずかに咲く道路ぞいに花をみつけ
た。ピンクの花びらに黄色の花弁が可愛い。

思わず200万画素しかないカメラ付き携帯を取り出し、しばしの間
撮影タイムに…。

3枚目のシャッターを切り取った後、ふと目をやった先に自分と
同じポーズで携帯カメラを向けている男性を発見した。さすがに
画像はないが(苦笑)、明らかにまねっこした?風貌は丸刈りで
黒服、髪の毛が薄くなり始めた30代半ば位のスーツ姿の男性だ。
ほんの少し柔らかい笑みを浮かべて、しばし花を愛でることで心
癒されていたようだ。

思わず私も顔が緩んだ。(タバコより何より癒されるひと時だね)

渋谷から原宿に向う最先端の街角で、ほんのわずかな花の存在が
人の心を癒してくれた。

春は、心優しい妖精たちが誰に気づかれなくても自ら美しく咲く
ことで愛を人間に与えてくれる。

花のように人間は生きられないかもしれないけれど、人として花
の存在に気づく、花を愛でる心だけは忘れたくないものだ。

穏やかな午後の日の散歩は懐かしい場所の移り変わりと新しい
東京の顔をかいま見せてくれた。

春の日の穏やかな日差しを浴びながらほんのひと時、癒される
時間を過ごせたことに感謝☆

新しい春が…

新しい春が始まっています。

人もワンちゃんも…。
等しく生命与えられていますね。

2010年4月4日日曜日

桜の花の咲く頃に…

時は2010年4月4日。

今日は、友人と花見がてら羽木公園周辺を散策する予定。

この季節に懐かしい友人や昔おつきあいのあった人と10年ぶりに
会ったりして、桜の花の咲く頃にちょっと切ない不思議な人のご縁
というものを感じています。

言葉にならない思い、この人とはこれで最後かな…とか、昔は感じ
とれなかったさまざまな思いが去来しています。歳のせいでしょうか?

一生懸命に生きている同世代の友人知人と久しぶりに交流を温め
ながら、時は変わらずに過ぎ去ることを辞めない、この無常に
どこかいき場のない思いを感じています。(やっぱり40代だから?)

春の嵐に耐えて可憐な花を咲かせる桜が満開を迎える頃にはちょっと
センチメンタルな気分になります。

らしくないな(苦笑)。

今年も良い出会いの春でありますように。