2010年4月4日日曜日

桜の花の咲く頃に…

時は2010年4月4日。

今日は、友人と花見がてら羽木公園周辺を散策する予定。

この季節に懐かしい友人や昔おつきあいのあった人と10年ぶりに
会ったりして、桜の花の咲く頃にちょっと切ない不思議な人のご縁
というものを感じています。

言葉にならない思い、この人とはこれで最後かな…とか、昔は感じ
とれなかったさまざまな思いが去来しています。歳のせいでしょうか?

一生懸命に生きている同世代の友人知人と久しぶりに交流を温め
ながら、時は変わらずに過ぎ去ることを辞めない、この無常に
どこかいき場のない思いを感じています。(やっぱり40代だから?)

春の嵐に耐えて可憐な花を咲かせる桜が満開を迎える頃にはちょっと
センチメンタルな気分になります。

らしくないな(苦笑)。

今年も良い出会いの春でありますように。

2010年3月31日水曜日

日本を創ろう☆『ザ・リバティ』創刊15周年

皆様、ご無沙汰しております☆
自分のためにも日記を付けていこうと思っておりましたがなかなか進んでおらず失礼いたしました。今日はちょっと良いことが…。

『日本を創ろう』(特集)このタイトルが踊り出ているのが、”おかげさまで15周年”を迎えた幸福の科学出版「ザ・リバティ」。

15年前、あの頃君は若かった(笑)ではありませんが、確かに私は20代で写真家としても脂がのりつつある頃でした。無償という形ではあったものの、創刊時から外部スタッフとしてこちらの雑誌を応援させて頂いていた。

当時は、「オウム・サリン事件」や「東村山市議殺人事件」など社会常識を覆す、痛ましい事件が盛んに起き始めていた頃であった。創刊時の荒っぽい取材の数々も若気の至りで難なく乗り切ってきたように思う。

そんな個人的な関わりのある「ザ・リバティ」が15周年を迎え、今号の中盤に登場する特集「不況でも頑張る中小企業」(私が書いた取材記事)が掲載されることは大変有り難く、喜ばしいことだと思っている。

編集部(担当者)とはいろいろあったものの、まずはこうして脱稿し、無事、15周年号に掲載された記事を読み直してみれば安堵する気持ちと「やっぱり書いて良かった」という強い気持ちがこみ上げてくる。

まだまだ未熟な自分ではあるもののこれを機にもっといろんな意味で頑張りたいと思っている。『素晴らしいものは素晴らしい』と思える、素直な気持ちを大切に、これからも取材対象者への愛を込めて執筆する書き手でありたい。

大切なのは、本当に世の中にとって必要な取材記事を続々と発表していくことだ。

願わくば自分をそうした人間としてこの世に遣わせてほしい、と神にも願う。

幸福を呼ぶフォトジャーナリストとして。

2010年3月10日水曜日

愛子さまいじめ問題に思う

少し政治(教育問題)ネタを…。

数日前から皇太子ご夫妻の長女愛子さまが学習院初等科への登校を拒否?されているということが明るみになった。
登校前に強い腹痛と不安感に苛まれるという症状で、同学年の男子児童から宮内庁の発表いわく「乱暴な行為があった」という。

詳細については控えたい、というのは宮内庁会見の弁。

さて昨今、子どもが大人にかわいいと思われなくて虐待されたり、公教育の現場(聖域)で臆することなく、日教組の先生方が政治活動を堂々となさったりと、なんだか変な世の中に拍車がかかっている今日この頃である。

とうとうついにここまで来たか、というのが私の正直な印象だ。

というのは、私も以前投稿したことのある「いじめから子どもを守ろうネットワーク」という公益法人が設立したNPOがあるのだが、ここで数多くの相談を受けてきた関係者がこの愛子さまの事案は、顕著ないじめを受けているケースと酷似しているというのだ。

そして明らかな学校(学習院)側の隠蔽行為。
特段、個別の生徒が「いじめを受けているという報告は受けていない」とのたまう学習院側の責任者の記者会見。

私自身、これまでいじめ問題のあった学校の記者会見などをウオッチしてきたなか、いじめが激しい学校ほど「子ども同士の他愛のないふざけあいの延長」などことの本質をうやむやに表現することをよく理解している。

どこかすっきりしない。間違っている。
まず、その認識の甘さに問題があるのだ。
一見、皇族のお嬢様がやんちゃな男子児童の行動に大げさに反応しているかのような表現ですませようとする民放メディアもあるが、明らかに学習院側にはいじめが多発していると報じるスポーツ紙の取材記事もある。

また現国会議員のヤンキー先生こと自民党の義家弘介氏は、皇族がいじめの対象になることに対して非常な危機感を感じているということと、学習院に対して、愛子様に対して乱暴な行為があったとしたら「学習院の伝統はどうなるのだ」と学校教育に警鐘を鳴らしている。

とどのつまり皇族方と過ごす学校生活によって高い倫理感と規律意識を育む、という学習院の理念は実質守られず、最も肝心な児童への教育指導がされていないということか。


でなければ何があったか詳細は掴めないが、あの活発な愛子様が学校に行くことに対して強い不安感と、腹痛を催すほどの事態に安易に陥るとは考えにくい。

みるプロがみればこれは明らかに常習的ないじめにあっているケースとまさしく一致するという。

日本の未来に大変な禍根を残してしまいかねない。

皇太子の姫君でさえ乱暴に扱われているのだ、ましてや普通のお子様であれば、何のためらいもなく、自殺にまで追い込まれる程病んだ状態になるまで周囲(家族や先生)に気づかれず放置されるのが常だということだ。

これは大きな日本の国力を低下させる程の問題だ。

日教組よ、いい加減に目を覚ませ。
そして鳩山総理よ、日教組から活動資金をもらって当選するような輩をいつまでも国会の場に送り込むな。恥をしれ!

いつまでも国民をなめるなよ。
次の参院選ではまともに学校教育(公教育)の在り方について議論できる人に当選して頂きたい。本気で日本をよくしてやろうという気概を持った人物にだ。

ちなみに「いじめから子どもを守ろうネットワーク」の矢内代表は東京から参議院選に出馬予定だ。彼が当選した暁には、真っ先にこのいじめ問題、公教育の改革に乗り出してくれることだろう。

大いに期待したい。

2010年2月1日月曜日

ストレスマネジメントのコツ

と、その前に熱血リバティ編集長が世田谷に来たこともご報告したかったのだけど、光陰矢の如し。今年、何度か書いていますが本当に時が過ぎ行くのが早いですね。ようやく2010年になったと思ったらもう2月。一日前のことが1年位前のことのよう?に感じます。
(里村編集長の話はまた次回に書かせて頂きますね。相変わらず汗っかきでパワフル!)

この季節、暖かさであっという間に桜の花が開花してしまいそうです。その前に梅の花がありますが、今年の梅見は世田谷の「羽木公園」に出かけたいと思っています。

あっ、それでストレスマネジメントのコツでした。
今日は表題のお話を千葉(某所)で聞いてきました。つまりは、まあ悟りを開かれた方のお話です。

この現代人特有のストレスも悟りという観点からみたらやはり「喝破したり」という風にならないといけないのでしょうね。ストレスをまず「見破る」(喝破するっちゅう感じ)。時間軸の流れなかでこの「ストレスのもと」をみて見る。そして、自分に与えたストレスのもと(対人関係とか)を許す。許すというか受け流す。さらさらと河の流れのように。

何事もなかったことのように、次々と新しいことに取り組んで、自分にとってストレスとなるような出来事を与えてくれた人の言葉や態度も一過性のものとして、(10年も20年も人を傷つけようと思って言葉を発する人はいない)自己改善のネタとして使わせて頂く。それ以上に深堀して自らをいじめるような考え方は持たないということが大切ですね。

自らの受け止め方(考えひとつ)によってストレスは分散されるものであるし、またストレス管理をしていかなくてはならないものですね。ストレスは他者から与えられるものでもあるけれど、でもまた人は他の存在によって多くを与えられている。だから、必要以上に人の言葉で傷つくような自分でもあってはいけないと。

これはいじめ(大人も子どもも)などに繋がる話かもしれませんが、人間関係でつまずいている人にとっては、仏教の「執着を去れ」という教えは、実にあっさりと自分も他人も幸福にしてしまう実に簡単な教え、悟りなのかもしれません。

勇気を持って(ネガティブなことは)忘れることが大切ですし、また相手の言ったマイナスの言葉も忘れてあげる強さが必要なのだと思います。

後は、忙しくして自分のこれからの人生をどんどん足早に生きていくことですよね。

そうしたら人から言われたネガティブなキーワードなんて覚えている暇はないですもの。

あー、そんなことを考えていたら”ストレス”も愛なんだーという気持ちになってきました。

人間関係学というか、人間でいられることの名利につきるというか…。人間として生まれて努力する醍醐味というか。ストレスに打ち勝つ度量を作ることもまた喜びなのかもしれません。

人間としての成長が必ずそこにある。これから器を大きくして無駄なストレスを切って、もう一回り成長した大きな自分になっていきたいと思います。今日という通過点を与えてくれたことに、すべてに感謝☆

2010年1月23日土曜日

現代の名工


世田谷の閑静な住宅街にHappy Science 世田谷成城支部が竣工した。
現代的な宗教施設として落ち着いた世田谷の地にふさわしい建物だ。
この建物は、信仰のシンボルであるご本尊Principal imageを外観にも設置、街の人々に向けて信仰の光が届くようにデザインされた。


この現代建築を施工したのは歴史的建造物、神社仏閣等の修復を得意分野とする藤木工務店だ。歴史は大正時代に遡る。創業者の藤木正一氏が徳島県で生誕したというのも感慨深いもが現在は大阪に本社があり、東京にはもちろん支社がある。


1月17日の竣工式には、藤木工務店の東京支社営業トップを始め、各関係会社を引き連れ総勢15名となった。東京営業支社長以下、プロジェクトに関わった一人ひとりがこの仕事を振り返りそれぞれに挨拶をした。『素晴らしい』謙虚さと、サービスマインドに感動した。その仕事に対する謙虚さ、ひたむきさは日本の現代に誇れる名工の人々であると言えるだろう。


詳細は省かせてもらうが、組織を作るのならこういう組織にしなくてはならないと心底、感じいった。まだまだこの社会から学ばせてもらうことが多々ある。なかでも実践を通して、仕事を通して神仏に、そして社会に貢献している人々と出会えることは大きな喜びである。

現代の名工たちに感謝を捧げたい☆

2010年1月1日金曜日

謹賀新年2010



A Happy New Year!

というわけで、ついに2010年に突入しました。
あまり年明けっぽくない写真でごめんなさい。昨年暮れに茅ヶ崎を取材で訪れたときのものです。(それっぽい写真がなかったもので^^)

ぐうたらで田舎にも帰れなかった私ですが今年は、元旦をまったりと自宅で過ごし、日が落ちる前にお正月の空気を体感しようと家を飛び出しました。(実はまだ年内に執筆予定の原稿が未完成なのでお正月はないのだ!)

家の近所は、日没のお気に入りスポットですが、ちょうど太陽が元日最後の美しい輝きを放って落ちていこうとしていました。思わず太陽信仰を思い出して?(日本人は元々神道なのでよいのだ)太陽を拝み、新年の口に出せないを思いを込めて手を合わせました。

そう自然と神々しい太陽に自分の道しるべを託すような思いで新年の誓いを立てさせていただきました。今年は自分にとって、本当のミレニアムになりそうな予感です。

あくまで予感ですが、この3年位は本当にワシ厳しかった。細木数子の占星術とかそれらによると、この3年間は大殺界だったようなのです。

思い起こせばというか、しょっちゅう「なんで?」っていうことが数多くこの3年間はありました。入院もしたし、あれこれと…。けれど昨年の後半くらいから少ずつではありますが、よい感触を得てきました。少しからだも元気になって前向きに感じられるものがあった。それは自分にとってよい仕事に出会えたことも大きかったけど。「もしかしたらワタシの人生これからかも」って…。

2010年は、もっとたくさんの方に読んでいただけるような執筆活動を続けていきたいと思っています。新しいメディアの創出も必要ですね。

ぜひ、プロデューサーとしても力を発揮していきたいと思います。
こんな厳しい~時代ですが、それでも明日のビジネスの芽は必ずどこかにあると、自分の人生を変える人々との出会いもあると信じています。
2010年は本気だして、自分にダメだしいっぱいして厳しくがんばっていきたいと思います。

これからのスタジオエアを見ていてください。皆さんのお役に立てる情報を発信し続けて参ります。

良き出会いを待っていてくださいね。

2010年が皆様にとって実り多き1年となりますように。
ビジネスの成功とご多幸をお祈りしています!

感謝を込めて☆

2009年12月24日木曜日

今日はワールドティーチャー(Master Okawa)のレクチャーを聴いた!


12月23日クリスマスイブの直前、渋谷精舎(Happy Science)にて大川隆法総裁の説法が行われた。
Master Okawaによる世界のクリスチャンたちへ送る最大の愛ともいえるレクチャーだった。

なぜなら、Master Okawaの言霊は、霊天上界のジーザスのインスピレーションを受け、ありのままの言葉を伝えているからだ。もちろんトランスレーション状態などではなく、自分自身の言葉として、大川隆法総裁の個性、思考を通して発されるものだ。大川隆法総裁自身もその状況を客観的に把握している。それゆえ、後日、レクチャーがそのまま本になるのだ。

今日の演題は、「For Peace and Love of the world」だ。美しい言葉だと思う。

今回、本会場をモニターでざっと見渡したところほとんど有色人種でアジア系、アフリカ系がほとんどだった。もちろん既にメンバーになって活動している人もいるけれど、中には今日がマスターとの出会いが初めて、レクチャーを初めて聴く、という方もいたようだ。

「Merry Christmas!」クリスマスを祝う言葉でレクチャーは始まった。だがしかし、世界中のどの国の教会に行ってもジーザスはいないのだと、唯一霊的存在であるジーザスの言霊を聴けるのは、地球の最高神であるエル・カンターレを通してこの渋谷精舎のみであると発されたのだ。

これがどれだけ重みのある言葉かお分かりだろうか。

1980年代後半に発足した宗教法人がいまや日本で知らないという人はいない。大きな団体となり(先の衆院選では党も立ち上げた)、日本の政治家や経済人、サラリーマン、主婦、学生、子供のみならず、世界の人々に対して責任を持ち、自身の言葉で直接、メッセージを送り続けている。しかもそれは理解者に対してだけではない。無理解な人のところにも、信仰の奇跡を信じて、「信仰は美しい」と、「エル・カンターレの説く教えは肌の色も国家も、言語も超えて繋がるものだ」と教えを説いているのだ。

1昨年前から勢力的に日本、国外を御巡錫(説法)して歩き、昨年はハワイ、イギリス、アメリカ(ニューヨークとカリフォルニア)、今年はオーストラリアでもレクチャーを続けてきた。

その都度、大川隆法総裁は、クリスチャンたちに真実の信仰を訴え続けてきた。自分がこの地球に責任を持つ、最高責任者『エル・カンターレ』であると、エル・カンターレ(大川総裁の霊的本体)という存在こそが人間の起源であり、アルファにしてオメガであると説法し続けてきたのだ。そして2千年前にジーザスを天上界から導いたのは私自身であると…。

その重みたるやどれほどのものであるか。世界で原理主義のクリスチャンにでも現場を押さえられたら、暗殺される可能性が十分にある。生きて救世主が法を説き、異教徒の国の人々に、『私はジーザスが父と呼んだ存在』であるといって歩いているのだ。 

これだけリスクの高い仕事を誰かやってのけるだろうか。決してお金や名声、その他諸々のものと引き換えたとしても余りあるリスクだ。損得勘定でいえば、「私が救世主である」「この世界に、地球に最終責任を負うものである」などとは決していえないだろう。

その発した自身の言葉に従い、自分自身の使命に従い、その行動を「全人類の幸福化」のためだけに動いておられる方が今そこにいるのだ。その先には宇宙をも含めたもっと遠大な理想、目的というものがあるのかもしれないが、それは今は言うまい。

彼、とあえて呼ぶが、人類のマスターにして最高、最強の教えを説くMaster Okawaは、本物である。

彼ほど本気で日本を、世界を、この地球に住む人々の幸福を考えている人はいない。エル・カンターレ(地球の至高神)がこの時代に降臨したということは、それは人類に最後の真剣勝負を神の側から挑んできたということだ。

神であるエル・カンターレが、人類にこれまでの過ちの多い生き方を捨て、平和と愛を取るか、人類が互いに愛し合い、国家も民族も肌の色も超えてお互いに愛し合えるか、問うているのだ。その時に宗教は、地球という同じ星をベースにして一つに結びつけあうことができるのか、「宗教は美しい」と、曇りなく今日のMaster  のようにいえる人がどれだけいるのだろうか。

許しの神でもあるエル・カンターレが人類に突きつけた試験が、今、ここに始まった。