2009年8月7日金曜日

矢沢かっこいい

矢沢永吉といえば、伝説のロッカー。70年代のCMヒット曲を飛ばし、『成り上がり』という矢沢を象徴するコピーから同名のエッセイ集もだしていたな。

あの頃、私は小学生か中学1,2年生だった。少し歳の離れた大人っぽい兄貴の影響で矢沢のLPを買ったりしていたっけ。楽しい時代だったな、日本に元気があった時代。

日本はバブルに向けてまっしぐら。80年代半ば~後半のバブル期に青春時代を過ごした私は、20歳位上の矢沢の歌う『成り上がり』、『ハングリー精神』なんていうものとは縁がなくて、既に時代は、『新人類』と呼ばれる世代の代表で、常に恵まれた時代の恩恵を受けてぬくぬく育ったひとりだ。

それから20年。また時代はあの頃とは少し様子が違っていて、同じ不況でもバブルの良い時代も経験したことのない、若者たちが社会に出て汲々としている。しかし一番、社会になじめず、社会の閉塞感に今だ戦い切れてないのは、我々バブルを経験した若者40前後の人間であるようにも思う。

なぜこんなことを書き始めたかというと、それはある公共放送での番組を観たときのこと。スタジオで若者と相対峙し、一生懸命に若者の質問に答えている人がいたのだ。それは、あの”矢沢その人”だった。

最近、よくテレビ番組に出演している矢沢だが、NHKのトーク番組にまで出ていたんだ。意外だったな。昔の矢沢ならなかった気がする。「smap×smap」でもいい味だしていたけど…。70年代からあくまでノリは変わらないけど、渋くなった伝説のロックンローラー矢沢がほんの少し刺をなくしたように、いやそれよりも物分りのよい「こんな上司がいたらいいのにな」と思わせるような落ち着いた深みのある渋い態度で、若者に向き合っていたんだ。

内容はこうだ。「(中略)…絶対に社会や人のせいにしちゃいけないんだ。自分で道を切り開くことができるんだ。それが大事なんだな。」そんな内容だった、多分、ニートや昨今の何をしたら良いのか分からない、という若者に対しての言葉だと思う。

一見、どこかで誰かが言ったような言葉のようにも聞こえるが、矢沢の言葉は本当、マジやばかったよ。
本当にこの人は矢沢だ。『成り上がり』のあの矢沢がいってるんだ、ってぞくっときた。

本当にそうやってバブルの絶頂期を迎える日本を率いてきた日本を代表する一人なんだ。

政治とかじゃなくて、実際に音楽や映像という手法で時代にメッセージを発信し、荒くれものの若者の心を掴み、時代のトレンドであるコマーシャルでその存在感をあまねく世間に知らしめた。その人だから、言葉に真実の重みがあった。

だって、そんなありきたりな言葉のようでいて、今の時代に当たり前のことを当たり前に言って説得力のあるひとなんて、そういないんだよ。逆にまともな正論はける人が希少な時代なんだから。

例えばニートと呼ばれるような若者が反社会的な事件を起こすとする。すると若テレビのコメンテーターやどこかの左翼系評論家ならこうだ。「そもそも社会の構造がおかしいですね。派遣切りにあうような制度は抜本的に根本的に見直さないといけない。ニートや犯罪を犯す若者が後を絶たない。これは、社会問題ですね」などと知った顔で言うわけだ。

それは社民党さんがよく使う弱者に対して平等を説き、政治が変わらなければ問題が解決しないと、本人の自己責任論などの問題ではないと、逃げる論調だ。こうした弱者(犯罪者も含めて)に対する一見、慈愛のようにも錯覚させる論調だが、果たしてそうか。

最近では、馬鹿なコメンテーターが最近降板になったが、タレント上がりのコメンテーターに多い、こういう社会全体の責任に話を持ってくる方多い。けれどそんな同情論はもう聞き飽きたんだよ。

しかるべき時にほんとうにしかる。言うべきときにきちんと本音で自分の経験を伝える。そんな大人が少なくなった。だからマジで自分の生き様を妥協せず、一本の道をただひたすら歩いてきた男の言葉には重みがある、本気さがある。正しいことを正しく伝えられる強さがある。

ああ、そんな矢沢はかっこいいな。
子供の時には分からなかったかっこよさが今なら十分分かる自分になった。

ほんとうにこんな大人が一杯出てこないといけないんだな。
頑張ろう~。そんな矢沢になりたい?!





2009年8月2日日曜日

ちっちゃな手で…

先月のことになるけれど、自宅前のバス停からいつもの成城学園前に出るバスに乗ったときのこと。
小さな女の子二人姉妹?が、お年寄りなどが座るシルバーシートの横型のボックス席にデ~ンと座っていた。座っていたというよりも小さな子供二人では3人がけくらいあるシートは広すぎてちょっと収まり悪そうで、足を広げたりして、運転手さんから「ちゃんと座ってて下さいね」とアナウンスされるような状態だった。足の納まりの悪い子供たちは、なんだかわざと行儀悪い感じだったが、まだ小さいし、仕方ないかな、とも思って見ていた。

すると次のバス停で年配(多分70歳前後)の背が低く荷物を持ったおじさんがよたよたバスに乗ってきて、シルバーシートの前に今にも「座らせて」といわんばかりの雰囲気で立った。子供たちに言葉に出していいかけたのだが、遠慮して声にはならなかったのだ。ついに私が見兼ねて、「みんな、おじさん来たら足をきちっとして。間を空けて。」と言い放った。おじさんは遠慮深く「いや、いいですよ」とおっしゃってくださったのだが、でも私は、「いえ、これは教育ですから。ちゃんとさせないとだめですから」というと、おじさんは子供たちに向かって「教育なんだって…」と照れくさそうに子供たちの間に座らせてもらっていた。おじさんは今時めずらしいほど謙虚で控えめな方だったのだ。

その時の子供たちというと、実は、とても素直で、最初に行儀悪いなと思った印象とは打って変わって、たった一言の呼びかけですぐ言われた通りに行動して、まるで清清しい体操の時間のような空気になっているのだ。「こんなに素直なんだ、言い方きつくなかったかな」とそんな躊躇を心の中でしていると、程なく終点の成城学園前の駅についた。

降り際に子供たちの顔をみると、小さい女の子(4歳、5歳?)の方がこちらの顔を見上げて、小さな手を振って「バイバイ!」って言ってくれたんだ。

そう、子供たちは決して大人のいうことを聞かないわけではないんだ、正しいことをしたら気持ちが良いっていうことを知っているんだ。その証拠に、小さい女の子の目は、正しいことが出来て嬉しかったよ、おじさんに席を空けてあげられて嬉しかったよ、と言っているかのように瞳が輝いていたんだ。

こちらも笑顔で振り向いて「バイバイ。またね!」って言ってあげた。
素直に自分が行動できたことが子供たちは嬉しかったのだと思う。大人はやはり無関心ではいけないね。心からその子をよくしてあげたいと思ったら、注意を払って、親が見ているとか、自分の子供じゃないからとか関係ないんだと思う。子供は自分がきちんとできることが嬉しいのだから。その方法を知らなくて困っていただけのことなんだから。今日も明日も良い出会いがありますように☆

子供たちの素直さに感謝☆★☆