2010年5月4日火曜日

私が子どもだった頃

私は、徳島県のちょうど鳴門市と徳島市の境に位置する北島町という小さな街で生まれた。

田舎町ではあったけれど吉野川(下流)が流れる町には、大阪万博以降、東京から光化学系企業の東亞合成、東邦レーヨンなどが参入し工場が建ち並んでいた。

当時はまだ農家も多かった時代だと思うが、私たちの親の世代から勤め人になる人が多くなっていた。そうした時代のサラリーマンの家庭の住環境は今のように恵まれたものではなかった。近隣には、小さな平屋建ての言ってしまえば、ウサギ小屋と揶揄された当時のサラリーマンの借家が立ち並んでいた。そして私の同級生のほとんどが、その小さなウサギ小屋の住人でもあった。


しかし、私はといえば、若い頃から金物工具店の叔父の元で修行をしていた父が、20代で独立。小さいながらも自前の土地で店を営んでいた家に生まれ、私が生まれた年に建て替えられた自宅は、その後、建て増しを続け、小学校に上がる頃には、当時では珍しい3階建ての住居付き店舗(鉄筋、エレベーター付き)になっていた。小さな町の中では、そうした両親の活躍は目立つもので、何かと地域のボランティアや、学校施設への寄付など地元の名士として応じていたようだった。


むろん従業員も数名いたが、そのなかには同級生のお母さんもパートとして混じっていた。そんな家庭状況であったが、私自身にとってはそれがどういうこともなく、ただ両親を尊敬する気持ちを持ちながら、毎日を屈託なくわんぱくに過ごしていたものだ。

それが小学校の高学年に上がった頃、一部の子どもからいじめともいえるような、強烈な嫉妬を受けるようになった。今にして思えばだが。学年でも特に自己顕示欲が強く成績も良かった男子生徒からよく絡まれることが多くなったのだ。

それは私の父の店で雇っていたパートのおばさんの息子だ。

その彼とは普段はあまり話をしたこともなかったのだが、登下校は同じルートだ。まったく何でもないことでライバル心をむき出しに、自分の方が優秀であることを証明しようとする。他の同級生に『○○の親はこうだ』とか何か良からぬ噂を流しているようでもあった。

自分の親だから擁護するという訳ではないが、私の親はかなり人のいい人たちなのである。困った人がいると見過ごせず、よく父は「人をだますぐらいなら、だまされる方がいい」、泥棒に入られてもお金を持ち逃げされても「自分が悪いことをしたわけじゃないからいい。盗んだ方が悪いんだから。」といっていた。

ましてや、当時の自営業者の間で流行っていたニューモラルという道徳科学(モラロジー)を勉強し、宗教心も篤く、人の面倒を見ていた父や母が人からねたまれるようなことは子ども心に想像することはできなかった。

しかし時は高度経済成長期、人は人からしてもらったことは忘れやすく、自分が持っていないものを持っている人に対しては壮絶な嫉妬を感じてしまったのかもしれない。

当時の私といえば普段から親からほしいものはすべて与えてもらっていたので、同級生に嫉妬するという感情がわくことはなかったが、逆に家族全員が揃って団らんできるサラリーマン家庭の子どもをうらやましく思ったことはある。

私にとっては小さな家で住んで家族の顔が毎日よく見えて、他人が介在してこない日常を送れることが家族の理想だったのだ。

つまりは何が言いたかったかというと、パートで雇われていた同級生のお母さんは、私の印象としては、かなりリベラルな左翼思想に影響を受けていたような人であった。恐らく自宅に帰ってからはその日の労働の不満を子どもや旦那にいって聞かせていたのだろう。

当時、社会主義(マルキシズム)に影響を受けていた労働者が多かったのは事実だ。やはり父のもとで働いていた母の妹の旦那であるおじさんは共産党員で赤旗を毎日のように暇な時間にはせっせっと読んでいた。

両親のいないところで私は、その叔父さんの妻である母の妹からいじめを受けていたことがあったが、私はそのことを母にも父にも言うことが出来なかった。今思えばすべては社会主義の影響を受けた労働者側の嫉妬という名の悪魔がなせる技であったと解釈している。


やがて私の実家の稼業は、私が20歳のときバブルを目前に倒産した。
今思えばその予兆のようなものが私が子ども時代からあったのかもしれない。やはり、父は経営者としては未熟だったのかもしれないとも思う。

しかし、生きることに不器用であった両親かもしれないが、それでも私を正しい信仰に導いてくれ、幼いときにミッション系の学校に通わせ、良書を読むことや宗教心の大切さを肌で感じさせてくれたことには大変、感謝している。


特に左翼思想の蔓延る70年代に、正しい道を指し示してくれていた母には感謝と敬意を表したいと思う。

2010年4月25日日曜日

優れたファストファッションのサービスとは…

土曜深夜のお笑い番組で「”ファストファッションのあるコト、ないコト”」というテーマでお笑い芸人が自分の知りうるお店情報をコメントするというものがあった。

その一つ一つの噂について、番組がメーカーに確認していくのだが、なかなか「なるほど」と思わせるファーストリティリングのサービスがあった。

それはお客様にプレッシャーを与えないために、店員はお客様に”お声をかけない”というものだ。既にご存知の方もいたかもしれないが、私は関心した。

というのも私のお気に入りのブランドでよく利用させて頂くアメリカの「Eddie Bower」というカジュアルファッションブランドの店があるのだが、とにかくそこでは客を見するとすぐに店員が駆け寄ってくる。

むろんお店によってもまた店員によっても差はあるものの、私の生活圏のターミナル駅近くにある店舗では入るなり、店員が入れ替わり立ち代わりこちらの行動を監視するかのように声をかけてくるのだ。「何かお探しですか?」、「今日は何をお探しですか?」といった具合だ。

しかし客としてはその日の都合によってゆっくり見れる時と、何か新作が入っていないかを駆け足で確認するだけのときなどもある。

しばらくは放っておいてもらってこちらの様子を見ながらさりげなく「何かお手伝いできることはありませんか」、「他にお探しのものがございませんか」などと助け舟を出してくれれるのならば有り難いのだが、往々にしてアメリカのファッションブランドのサービスは、売り子の作り笑いに、「お客様」を意識しすぎた過剰な接客態度が重なり、私などは食傷気味になってしまう。

「そうか」。
ファストリティリング柳井会長のアイディアだという過剰にお客様にプレッシャーを与えないためにユニクロでは声をかけないというのなら、これまでの店内での接客には合点がいった。

私は決してユニクロのあっさりとしたサービスが嫌いではないのだが、しかし店舗によっては、お客様に対する「無関心」とでも感じとれる顧客の方を向けていない店員の接客態度が気になることもあった。正直顧客が多すぎる?のかもしれないが。

完全にディスプレイだけに集中していたり、レジを打つことだけがミッション?の店員さんがいたりと、やはり機械的すぎる動きに違和感を覚えたこともあった。

確かに柳井さんの考えるサービスの理念は素晴らしいと思うのだが、どこまで末端の店員がそのマインドを理解しているかどうか。
勝手に自分たちの解釈で「営業の効率化」のみに利用してはいないだろうか。

昨今、業界を問わずマニュアル化されたサービスには限界を感じるものだが、サービスとはやはり対ヒトであり、あくまで一人ひとりが「考えること」なしにより良いサービスの実現はありえないことだ。

トップの考えるサービスが浸透した暁に、それが形式主義となり、「自分たちにとって都合のよい解釈になっていないか」。どの組織でもある程度の規模になったときには「なぜ、そのようなサービスを発明したのか」この原点を思い出さなくてはならないということだ。

しかし顧客の立場に立った柳井会長の視点、言葉には出せない顧客の思いを汲み取る力には脱帽する。そうでなくては年々業績を伸ばし続け、小売り製造業界世界一を目指すなどとという大きな目標を掲げることはできないのだろう。

2010年4月19日月曜日

古民家喫茶&ギャラリー

今日は、埼玉は東北線に乗って、ある媒体の取材で浦和を訪れた。

訪れたのは、浦和駅西口から徒歩で約10分、明治23年に建てられた
納屋を改装し18年前にオープンした純日本喫茶・ギャラリー「楽風」
(らふ)である。

もう少し早ければ満開の桜並木の下を通って喫茶兼ギャラリーに辿り
着けたのだけれど、それでも晴れた日に、涼やかな緑の木の下を歩く
気分は壮快だ。

店内は、木のぬくもりを活かした空間で地元の作家の陶磁や木工製品
などが並ぶ落ち着く空間だ。

10種類以上ある茶葉の中から選んだのは、「ぐり茶」と呼ばれる煎茶
で、仕上げの揉みの行程を一つ省いたお茶だ。どういう意味があって
そういう飲み方を始めたのかは知らないが、それでも初めて味わった
「ぐり茶」の味はまろやかで実に爽やかな余韻を残すお茶であった。


お菓子は、昨日までの「おぼろ月」に変わって「かのこ」のようだ。
実は、2、3日前にも一度、別件でお邪魔したのが、その時に味わった
「おぼろ月」の上品な甘さに完全にノックアウトされていた。
だが、今日のお菓子もほのかな甘さで抹茶の甘みとも高相性だ。

今日は日曜日で客足も多いため、あまりゆっくりとは出来なかった
が、平日の朝か夕方が以降狙い目だろう。近隣にお住まいの方はも
ちろん、ぜひ都内にお住まいの方にも小旅行気分で足を運んで頂き
たいお店だ。

このお店を尋ねる傍ら、周辺に散策コースか何かあるかは分からない
が、それでも頭上や足下に目をやれば、どこかしこに花が咲き、木の
温かさを感じさせるこの場所は一度は尋ねてみる価値があると思う。

近隣にもこうした店ができないかなと思いながらもこうした味わいの
ある建物を生み出すには年期と忍耐がかかることを改めて思い知らさ
れた。


今日もまた幸福なお茶を味わうひと時を与えてくれた「楽風」さんに感謝。

2010年4月12日月曜日

宇宙観を拡げる

4月11日(日)都内某所にて(宗教法人幸福の科学の宗教施設内)にて「宇宙人との対話」を目撃(拝聴)した。

実際には、『宇宙時代と仏法真理』というタイトルだった。
『宇宙時代と仏法真理』とは、どういうことなのか。幸福の科学では、大川総裁の潜在意識(悟り、霊能力)を通して「仏法真理」(「永遠の法」)と呼ばれる時空間を超えた教えている。「仏法真理」とは、あの世とこの世を貫く法則であり、宇宙にも繋がる思想である。

昨日は、幸福の科学フォロアー(信者、シンパ)を中心に(もちろん未会員、一般参加者も可)宗教施設内でその関連の教えを説かれた。テーマは、毎回変わるものの、このところ「宇宙化時代の到来」を前にさらに一歩踏み込んだ「宇宙時代の法」が説かれているのだ。

最近出版された月刊「The Liberty」5月号でも一部掲載されているが、書籍や雑誌で取材したものを後から読むのと、実際にその現場に居合わせて生々しい宇宙人との対話(総裁の潜在意識が相手の言語をトランスレーションして伝える、霊を降ろす)を目撃するのとではまったく印象や、確信が異なる。

前段には大川総裁の法話が入っていたものの、今回のトライアルに関しては「出たとこ勝負だ」と言っていただけあって、即興芝居のような印象はなく、リアルに異なる種族の宇宙人の魂が呼び寄せられ、地球人に宿りたる者の使命や、その理由を明かしていったのだ。


私自身こうした霊言に大して免疫がないわけではなかったが、次々と異なる宇宙人が呼び出され、その個性の違いを際立たせた対話には衝撃を与えられた。

確かに個性が違うのだ。人間として我々は普段、1種類もしくは、男女の2種類しかないと思い込んでいるが、それは今現在の、地球人としての生物学的な話であって、宇宙の生命、生物にまで枠を広げて考えてみれば、そこにまったく違う常識が現れるのだ。

理解できないという方には実際に残された録画でその真偽を見て頂くしか他はない。

しかし、自分自身の悟りといってもいいかもしれない、直感としてこの多様な価値観を持つ、異星人の存在は私にとっては比較的容易に信じられるレベルの話であった。

そして今日何が書きたかったか。

この地球上に起きる世界の混沌、世界争議を乗り越えていくには、この「宇宙の法」「宇宙人との対話」が広く知られなくてはならないということだ。

これによって、すべて争いの元が氷塊とはいかないかもしれないが、少なくとも相手(異なる宇宙から来た魂のルーツ)の存在を知り、自分自身の認識力が変わることで「理解」が生まれ、許せる感情が芽生えるというものだ。

すべての根本は、この数億年の地球の歴史に始まったことではない。
宇宙の成り立ちはずっとそれ以前に起きていたことで私たちにはまだ知ることを許されていない宇宙の真実が隠されているのだ。

それを謙虚に受け止め、私たちが地球人として生きていく上で、新たな視点で物事を捉える必要がある。

「地球人としての同一の価値観をどう創りあげていくか」、これがいま、宇宙から注目される星(決して国だけではない)として、地球に住まう地球人の使命であるといえるだろう。

2010年4月8日木曜日

今日の日常

今日は午後から渋谷で打ち合わせが。その後、杉並方面で夕方の5時
から打ち合わせだった。ちょうど2時から3時間のあいだ時間が出来た
ので渋谷から原宿、表参道とお天気に誘われるまま散歩を楽しんだ。

途中、明治通ぞいの宮下公園前でわずかに咲く道路ぞいに花をみつけ
た。ピンクの花びらに黄色の花弁が可愛い。

思わず200万画素しかないカメラ付き携帯を取り出し、しばしの間
撮影タイムに…。

3枚目のシャッターを切り取った後、ふと目をやった先に自分と
同じポーズで携帯カメラを向けている男性を発見した。さすがに
画像はないが(苦笑)、明らかにまねっこした?風貌は丸刈りで
黒服、髪の毛が薄くなり始めた30代半ば位のスーツ姿の男性だ。
ほんの少し柔らかい笑みを浮かべて、しばし花を愛でることで心
癒されていたようだ。

思わず私も顔が緩んだ。(タバコより何より癒されるひと時だね)

渋谷から原宿に向う最先端の街角で、ほんのわずかな花の存在が
人の心を癒してくれた。

春は、心優しい妖精たちが誰に気づかれなくても自ら美しく咲く
ことで愛を人間に与えてくれる。

花のように人間は生きられないかもしれないけれど、人として花
の存在に気づく、花を愛でる心だけは忘れたくないものだ。

穏やかな午後の日の散歩は懐かしい場所の移り変わりと新しい
東京の顔をかいま見せてくれた。

春の日の穏やかな日差しを浴びながらほんのひと時、癒される
時間を過ごせたことに感謝☆

新しい春が…

新しい春が始まっています。

人もワンちゃんも…。
等しく生命与えられていますね。

2010年4月4日日曜日

桜の花の咲く頃に…

時は2010年4月4日。

今日は、友人と花見がてら羽木公園周辺を散策する予定。

この季節に懐かしい友人や昔おつきあいのあった人と10年ぶりに
会ったりして、桜の花の咲く頃にちょっと切ない不思議な人のご縁
というものを感じています。

言葉にならない思い、この人とはこれで最後かな…とか、昔は感じ
とれなかったさまざまな思いが去来しています。歳のせいでしょうか?

一生懸命に生きている同世代の友人知人と久しぶりに交流を温め
ながら、時は変わらずに過ぎ去ることを辞めない、この無常に
どこかいき場のない思いを感じています。(やっぱり40代だから?)

春の嵐に耐えて可憐な花を咲かせる桜が満開を迎える頃にはちょっと
センチメンタルな気分になります。

らしくないな(苦笑)。

今年も良い出会いの春でありますように。

2010年3月31日水曜日

日本を創ろう☆『ザ・リバティ』創刊15周年

皆様、ご無沙汰しております☆
自分のためにも日記を付けていこうと思っておりましたがなかなか進んでおらず失礼いたしました。今日はちょっと良いことが…。

『日本を創ろう』(特集)このタイトルが踊り出ているのが、”おかげさまで15周年”を迎えた幸福の科学出版「ザ・リバティ」。

15年前、あの頃君は若かった(笑)ではありませんが、確かに私は20代で写真家としても脂がのりつつある頃でした。無償という形ではあったものの、創刊時から外部スタッフとしてこちらの雑誌を応援させて頂いていた。

当時は、「オウム・サリン事件」や「東村山市議殺人事件」など社会常識を覆す、痛ましい事件が盛んに起き始めていた頃であった。創刊時の荒っぽい取材の数々も若気の至りで難なく乗り切ってきたように思う。

そんな個人的な関わりのある「ザ・リバティ」が15周年を迎え、今号の中盤に登場する特集「不況でも頑張る中小企業」(私が書いた取材記事)が掲載されることは大変有り難く、喜ばしいことだと思っている。

編集部(担当者)とはいろいろあったものの、まずはこうして脱稿し、無事、15周年号に掲載された記事を読み直してみれば安堵する気持ちと「やっぱり書いて良かった」という強い気持ちがこみ上げてくる。

まだまだ未熟な自分ではあるもののこれを機にもっといろんな意味で頑張りたいと思っている。『素晴らしいものは素晴らしい』と思える、素直な気持ちを大切に、これからも取材対象者への愛を込めて執筆する書き手でありたい。

大切なのは、本当に世の中にとって必要な取材記事を続々と発表していくことだ。

願わくば自分をそうした人間としてこの世に遣わせてほしい、と神にも願う。

幸福を呼ぶフォトジャーナリストとして。

2010年3月10日水曜日

愛子さまいじめ問題に思う

少し政治(教育問題)ネタを…。

数日前から皇太子ご夫妻の長女愛子さまが学習院初等科への登校を拒否?されているということが明るみになった。
登校前に強い腹痛と不安感に苛まれるという症状で、同学年の男子児童から宮内庁の発表いわく「乱暴な行為があった」という。

詳細については控えたい、というのは宮内庁会見の弁。

さて昨今、子どもが大人にかわいいと思われなくて虐待されたり、公教育の現場(聖域)で臆することなく、日教組の先生方が政治活動を堂々となさったりと、なんだか変な世の中に拍車がかかっている今日この頃である。

とうとうついにここまで来たか、というのが私の正直な印象だ。

というのは、私も以前投稿したことのある「いじめから子どもを守ろうネットワーク」という公益法人が設立したNPOがあるのだが、ここで数多くの相談を受けてきた関係者がこの愛子さまの事案は、顕著ないじめを受けているケースと酷似しているというのだ。

そして明らかな学校(学習院)側の隠蔽行為。
特段、個別の生徒が「いじめを受けているという報告は受けていない」とのたまう学習院側の責任者の記者会見。

私自身、これまでいじめ問題のあった学校の記者会見などをウオッチしてきたなか、いじめが激しい学校ほど「子ども同士の他愛のないふざけあいの延長」などことの本質をうやむやに表現することをよく理解している。

どこかすっきりしない。間違っている。
まず、その認識の甘さに問題があるのだ。
一見、皇族のお嬢様がやんちゃな男子児童の行動に大げさに反応しているかのような表現ですませようとする民放メディアもあるが、明らかに学習院側にはいじめが多発していると報じるスポーツ紙の取材記事もある。

また現国会議員のヤンキー先生こと自民党の義家弘介氏は、皇族がいじめの対象になることに対して非常な危機感を感じているということと、学習院に対して、愛子様に対して乱暴な行為があったとしたら「学習院の伝統はどうなるのだ」と学校教育に警鐘を鳴らしている。

とどのつまり皇族方と過ごす学校生活によって高い倫理感と規律意識を育む、という学習院の理念は実質守られず、最も肝心な児童への教育指導がされていないということか。


でなければ何があったか詳細は掴めないが、あの活発な愛子様が学校に行くことに対して強い不安感と、腹痛を催すほどの事態に安易に陥るとは考えにくい。

みるプロがみればこれは明らかに常習的ないじめにあっているケースとまさしく一致するという。

日本の未来に大変な禍根を残してしまいかねない。

皇太子の姫君でさえ乱暴に扱われているのだ、ましてや普通のお子様であれば、何のためらいもなく、自殺にまで追い込まれる程病んだ状態になるまで周囲(家族や先生)に気づかれず放置されるのが常だということだ。

これは大きな日本の国力を低下させる程の問題だ。

日教組よ、いい加減に目を覚ませ。
そして鳩山総理よ、日教組から活動資金をもらって当選するような輩をいつまでも国会の場に送り込むな。恥をしれ!

いつまでも国民をなめるなよ。
次の参院選ではまともに学校教育(公教育)の在り方について議論できる人に当選して頂きたい。本気で日本をよくしてやろうという気概を持った人物にだ。

ちなみに「いじめから子どもを守ろうネットワーク」の矢内代表は東京から参議院選に出馬予定だ。彼が当選した暁には、真っ先にこのいじめ問題、公教育の改革に乗り出してくれることだろう。

大いに期待したい。

2010年2月1日月曜日

ストレスマネジメントのコツ

と、その前に熱血リバティ編集長が世田谷に来たこともご報告したかったのだけど、光陰矢の如し。今年、何度か書いていますが本当に時が過ぎ行くのが早いですね。ようやく2010年になったと思ったらもう2月。一日前のことが1年位前のことのよう?に感じます。
(里村編集長の話はまた次回に書かせて頂きますね。相変わらず汗っかきでパワフル!)

この季節、暖かさであっという間に桜の花が開花してしまいそうです。その前に梅の花がありますが、今年の梅見は世田谷の「羽木公園」に出かけたいと思っています。

あっ、それでストレスマネジメントのコツでした。
今日は表題のお話を千葉(某所)で聞いてきました。つまりは、まあ悟りを開かれた方のお話です。

この現代人特有のストレスも悟りという観点からみたらやはり「喝破したり」という風にならないといけないのでしょうね。ストレスをまず「見破る」(喝破するっちゅう感じ)。時間軸の流れなかでこの「ストレスのもと」をみて見る。そして、自分に与えたストレスのもと(対人関係とか)を許す。許すというか受け流す。さらさらと河の流れのように。

何事もなかったことのように、次々と新しいことに取り組んで、自分にとってストレスとなるような出来事を与えてくれた人の言葉や態度も一過性のものとして、(10年も20年も人を傷つけようと思って言葉を発する人はいない)自己改善のネタとして使わせて頂く。それ以上に深堀して自らをいじめるような考え方は持たないということが大切ですね。

自らの受け止め方(考えひとつ)によってストレスは分散されるものであるし、またストレス管理をしていかなくてはならないものですね。ストレスは他者から与えられるものでもあるけれど、でもまた人は他の存在によって多くを与えられている。だから、必要以上に人の言葉で傷つくような自分でもあってはいけないと。

これはいじめ(大人も子どもも)などに繋がる話かもしれませんが、人間関係でつまずいている人にとっては、仏教の「執着を去れ」という教えは、実にあっさりと自分も他人も幸福にしてしまう実に簡単な教え、悟りなのかもしれません。

勇気を持って(ネガティブなことは)忘れることが大切ですし、また相手の言ったマイナスの言葉も忘れてあげる強さが必要なのだと思います。

後は、忙しくして自分のこれからの人生をどんどん足早に生きていくことですよね。

そうしたら人から言われたネガティブなキーワードなんて覚えている暇はないですもの。

あー、そんなことを考えていたら”ストレス”も愛なんだーという気持ちになってきました。

人間関係学というか、人間でいられることの名利につきるというか…。人間として生まれて努力する醍醐味というか。ストレスに打ち勝つ度量を作ることもまた喜びなのかもしれません。

人間としての成長が必ずそこにある。これから器を大きくして無駄なストレスを切って、もう一回り成長した大きな自分になっていきたいと思います。今日という通過点を与えてくれたことに、すべてに感謝☆

2010年1月23日土曜日

現代の名工


世田谷の閑静な住宅街にHappy Science 世田谷成城支部が竣工した。
現代的な宗教施設として落ち着いた世田谷の地にふさわしい建物だ。
この建物は、信仰のシンボルであるご本尊Principal imageを外観にも設置、街の人々に向けて信仰の光が届くようにデザインされた。


この現代建築を施工したのは歴史的建造物、神社仏閣等の修復を得意分野とする藤木工務店だ。歴史は大正時代に遡る。創業者の藤木正一氏が徳島県で生誕したというのも感慨深いもが現在は大阪に本社があり、東京にはもちろん支社がある。


1月17日の竣工式には、藤木工務店の東京支社営業トップを始め、各関係会社を引き連れ総勢15名となった。東京営業支社長以下、プロジェクトに関わった一人ひとりがこの仕事を振り返りそれぞれに挨拶をした。『素晴らしい』謙虚さと、サービスマインドに感動した。その仕事に対する謙虚さ、ひたむきさは日本の現代に誇れる名工の人々であると言えるだろう。


詳細は省かせてもらうが、組織を作るのならこういう組織にしなくてはならないと心底、感じいった。まだまだこの社会から学ばせてもらうことが多々ある。なかでも実践を通して、仕事を通して神仏に、そして社会に貢献している人々と出会えることは大きな喜びである。

現代の名工たちに感謝を捧げたい☆

2010年1月1日金曜日

謹賀新年2010



A Happy New Year!

というわけで、ついに2010年に突入しました。
あまり年明けっぽくない写真でごめんなさい。昨年暮れに茅ヶ崎を取材で訪れたときのものです。(それっぽい写真がなかったもので^^)

ぐうたらで田舎にも帰れなかった私ですが今年は、元旦をまったりと自宅で過ごし、日が落ちる前にお正月の空気を体感しようと家を飛び出しました。(実はまだ年内に執筆予定の原稿が未完成なのでお正月はないのだ!)

家の近所は、日没のお気に入りスポットですが、ちょうど太陽が元日最後の美しい輝きを放って落ちていこうとしていました。思わず太陽信仰を思い出して?(日本人は元々神道なのでよいのだ)太陽を拝み、新年の口に出せないを思いを込めて手を合わせました。

そう自然と神々しい太陽に自分の道しるべを託すような思いで新年の誓いを立てさせていただきました。今年は自分にとって、本当のミレニアムになりそうな予感です。

あくまで予感ですが、この3年位は本当にワシ厳しかった。細木数子の占星術とかそれらによると、この3年間は大殺界だったようなのです。

思い起こせばというか、しょっちゅう「なんで?」っていうことが数多くこの3年間はありました。入院もしたし、あれこれと…。けれど昨年の後半くらいから少ずつではありますが、よい感触を得てきました。少しからだも元気になって前向きに感じられるものがあった。それは自分にとってよい仕事に出会えたことも大きかったけど。「もしかしたらワタシの人生これからかも」って…。

2010年は、もっとたくさんの方に読んでいただけるような執筆活動を続けていきたいと思っています。新しいメディアの創出も必要ですね。

ぜひ、プロデューサーとしても力を発揮していきたいと思います。
こんな厳しい~時代ですが、それでも明日のビジネスの芽は必ずどこかにあると、自分の人生を変える人々との出会いもあると信じています。
2010年は本気だして、自分にダメだしいっぱいして厳しくがんばっていきたいと思います。

これからのスタジオエアを見ていてください。皆さんのお役に立てる情報を発信し続けて参ります。

良き出会いを待っていてくださいね。

2010年が皆様にとって実り多き1年となりますように。
ビジネスの成功とご多幸をお祈りしています!

感謝を込めて☆