2009年10月6日火曜日

映画『仏陀再誕』

10月5日、丸の内東映で映画『仏陀再誕』の試写を観た。
予想していた以上に良かった。予想というよりは何も考えずに今回は観に行った。

幸福の科学総裁グループとなって初の大川総裁総指揮、ご子息の大川宏洋くん企画・脚本による初の映画。若い感性が存分に生かされた10代、20代向けの映画との前評判があったが、 確かに大川宏洋くんが今回の映画から脚本に加わったこともあって、いまどきの女子校生 (でもやはり普通ではない、超感性の女の子)の恋愛観が表現されていたり、等身大の若者の 会話がこのストーリーを進める上で重要なリアリティをもたらしてくれる。

いわゆるこれまでアニメでしか描けないと、幸福の科学ムービーに主流となっていた 霊界世界や超常現象のエッセンスが炸裂しつつも、どこか人間くささ、”この世に生きる人間 の悲哀”や”かわいらしさ”が自然体で描かれ、不思議な哀切を 奏でる映画へと昇華されている。

これまでの幸福の科学アニメにはなく、劇画チックな表現に頼らないストーリー そのものを重視した本質をしっかりと捉えた『仏陀再誕』は、日本の新しいジャンルのアニメとコラボした次世代型の宗教映画といえるのではないか。

お世辞も何も抜きにしてこの映画を素直な心で何ら偏見のない思いで見たならば、これは”衝撃的な霊界世界”の真実を表現したいや具現化した映画であり、”現世”で生きる 人々にとって大いなる福音をもたらす映画であることは間違いないだろう。

それは観たものの持つ悟りや、感性で感じ取ることしかできない『間合い』のようなもの がこの映画には隠されているが、確実にこの映画を観た後と、観る前とでは同じ人間では いられなくなるのではないかと思う。

少なくともこの世の切なさ、はかなさの中に生きる人間にとって、かすかに、いや本当は大きな希望 として与えられた『仏陀再誕のキー(鍵)』、このキー(鍵)を物語としてのみ解釈するか、それとも厳粛なる 事実として受け止めるか、それは観客と仏陀との縁そのものであり、またその人間の持つところの仏性(仏の子としての性質)、素直さそのものに委ねられることだろう。

人間の弱さを知り尽くし、その上で最大の『許し』という愛を与える仏陀の存在。
これは決して2500年前にのみ起きたことではない。

今も現代においても密かに仏陀は生まれ変わり、その使命を繰り返される日常の中で人知れず果たそうとされているのだ。その再誕の仏陀はひとり。しかしその教えの元に集まる弟子たちの数は、あの東京ドームを埋め尽くした映像のように日本には散りばめられている。

『仏陀は誰なのか』その答えを模索するもよい、しかしその前にもしも仏陀がこの地上に救世主と して降臨していたとしたならば、あなたはその教えの真実に触れ、随喜の涙に心を洗われたい と思わないか。

そしてもしもあなたがこの映画を観て魂の奥底に触れるものが心の琴線 に触れるものがあったのだとしたら、あなたが仏弟子であるということの証であり、あなたの魂はいま、仏陀によって救われている。

すべての日本人が観るべき映画。
少なくともこの映画を前向きに『観てみよう』と思う日本人が増えたならば、この日本で毎年増え続けている自殺者や、犯罪の数は減少することだろう。

この映画を通して1日も早く無明の闇から脱し、日本が、世界が明るく照らされることを痛切に願う。